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名古屋高等裁判所 昭和26年(う)633号 判決

控訴人 被告人 河本定子

弁護人 森健

検察官 神野嘉直関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

原審に於ける訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人森健の控訴趣意は本件訴訟記録編綴の同弁護人名義の控訴趣意書と題する書面記載の通りであるから茲に之を引用する。

之に対する当裁判所の判断は次の通りである。

控訴趣意第一点について

原判決が論旨摘録の事実を判示したことは所論の通りであるが、その挙示の各証拠を総合すれば優に右事実を認定し得られるから右行為が公務執行妨害罪を構成することは何等疑を容れる余地はない。而して判示収税官吏岩瀬源治外四名が被告人方に於て判示臨検捜索差押の執行をなすに際し判示裁判官の発した許可状を携行所持していたこと、被告人方に於て臨検捜索を開始せんとした時被告人は不在であつたので警察吏員立会の下に之を開始したこと、その執行の途中で被告人が帰宅し妨害に出たこと、及び同人には遂に裁判官の許可状を示さなかつたことは何れも右挙示の証拠により認められる。然しながら被告人方が不在であつても警察吏員又は市町村吏員の立会の下に適法に臨検捜索の処分が開始できることは国税犯則取締法第六条第二項の規定に徴し明らかであるから本件執行は適法に開始されたと認められる。従つて一旦適法に開始された前記処分の執行途中で被告人が帰宅しても同人に改めて許可状を示さなければその執行の続行ができないものでないのみならず右取締法には臨検捜索差押の執行に当りその執行者の身分を証明する証票を携帯すべき旨規定するけれども裁判官の許可状を犯則者に示さなければならない旨の規定は存しないから、右収税官吏に於て被告人に前記許可状を示さなかつたからと云うて右執行が不適法となるものではない。本件公務の執行は適法であつて之を妨害した被告人の所為は公務執行妨害罪を構成するから原判決には何等所論のような法律解釈の誤りはない。論旨は採用できない。

同第二点について

本件臨検捜索、差押は被告人方に於ける証拠物件を捜索し之を差押領置し之を収税官吏の完全な支配内に移す迄はその執行は終了しないものと解すべきであるが、本件訴訟記録並びに原裁判所で取調べた証拠に依れば右執行は未だ右の終了に至らない途中に於て判示妨害を受けたものであること明らかで公務執行妨害罪の成立すること勿論で原判決には何等所論のような審理不尽も理由のくいちがいもないから論旨は理由がない。

同上第三点について

本件訴訟記録並びに原裁判所で取調べた証拠に現はれた被告人の本件犯行の動機、態容、経歴、家庭の状況に情状を斟酌考量すると原判決の科刑は重きに過ぎると認められるから此点の論旨は理由がある。

以上説明の通りで本件控訴は理由があるから刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十一条に則り原判決を破棄することとし而して当裁判所は本件訴訟記録並びに原裁判所で取調べた証拠に依り直ちに判決をすることができると認めるので同法第四百条但書に従ひ更に被告事件について判決することとする。

被告人に対する本件の罪となるべき事実並びに之が認定の証拠は原判決摘示通りであるから茲に之を引用する。

法律に照すと被告人の判示所為は刑法第九十五条第一項に該当するから所定刑中懲役刑を選択しその刑期範囲内に於て、被告人を懲役三月に処し原審に於ける訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用し全部被告人をして負担させることとする。

(裁判長判事 深井正男 判事 石谷三郎 判事 上田孝造)

弁護人森健の控訴趣意

第一点原判決は法律の解釈を誤り罪とならない事実を罪とした違法がある。

(1) 原判決は大蔵事務官岩瀬源次等が捜索差押令状に基き昭和二十五年七月十四日被告人宅に於いて密造酒の摘発の公務執行中被告人が岡田事務官の手に咬みつき之が執行の妨害をした旨判示したが該執行は不法にして被告人の所為は公務執行妨害罪を構成しないものと思料する。

(2) 岩瀬源次は被告人の要求があつたに拘らず令状を所持せず之を示さなかつた(原審第二回公判調書の被告人の供述参照)令状を所持せず之を示さないような公務執行(捜索、差押)は不法である。此点につき岩瀬源次は原審公判廷に於いて被告人がわめいて令状を示す暇がなかつたと供述しているが之は措信し得ない、同人は検察官に対してはポケツトに入れていて忘れていたと供述している。捜索差押につき最も重要な令状を示す暇がない等のことはない。忘れていたと云うのはポケツトに入れていたのでなく所持しなかつたことが推測される、元来被告人は不在中に捜索差押をせられ帰来したとき自宅から搬出(密造酒や容器)されていたのを見て驚き其の理由を岩瀬等に訊ね令状の呈示を求めたものである又仮りに岩瀬、岡田の供述の如く被告人が同人等に何等理由を訊ねることなく直ちに同人等に喰つてかかつたとすれば(斯様なことは考えられないが)同人等に於いて自分は此の通り令状を以て来て居ると被告人に示して其の職務を明らかにする筈である。之等の点を考え合せるに本件執行は令状なく行われたもので不法であり之を有罪とした原判決は破棄を免れない。(検察官作成の岩瀬の供述調書は法廷に提出されていないが本書に於いて問題とした点は弁護人から反対尋問をして明らかにしたが原審公判調書に明瞭でない。尚弁護人は岩瀬に当時の状況を詳細尋問したが公判調書に弁護人が尋問することなしと述べたと記載され居り又最終弁論に於いて令状の重要性を論じ第一には無罪を主張したが之も瞭でないのは遺憾とする。

第二点原判決は理由にくいちがいがあり且つ審理不尽の違法がある。

(1) 原判決は本件事実認定の証拠として岩瀬、岡田両事務官の原審公判廷に於ける供述及び捜索差押顛末書を挙示したが之等の間には重大なくいちがいがあり被告人の所為が大蔵事務官の職務執行中に行われたことが明らかにされず却つて執行終了後行われたことが推測される。

(2) (イ)捜索差押顛末書には本件執行は昭和二十五年七月十四日午後三時二十分開始され同三時五十分終了した旨記載されている。

(ロ)証人岩瀬は同人等が密造酒及び其の容器を被告人宅から搬出した後被告人が帰来した旨供述している。

(ハ)証人岡田は同日午後四時頃被告人宅に赴き捜査を開始しカメ等の容器を搬出した際被告人が帰来したと供述している。

之等を検討するに捜索差押顛末書を基本とするとき岡田は執行終了後被告人宅に赴いたことになり、又岩瀬の証言によるときは執行完了後被告人が帰来したことは明瞭で何れも被告人の所為は執行終了後であると認められる。殊に捜索差押顛末書によると其の執行は巡査の立会の下に行われていて被告人は立会つていない。若し捜索、差押の執行中に被告人が帰来したとせば当然被告人を立会はすべきである。被告人の立会なきことは既に捜索差押が終了していたことの証左である。

然るとき原判決は理由にくいちがいがあり又被告人の所為が岩瀬等の職務執行中に行われたか或は其の終了後に行われたが即ち公務執行妨害罪の成否に関する重要なる点について審理を尽さない違法がある。

第三点原判決の刑の量定は不当である。原判決は被告人を懲役六月の実刑に処したが次の理由を考慮するとき重きに失し執行猶予の判決をして頂きたい。(1) 本件執行は被告人の不在中に行われたので被告人帰来し驚き憤激し官吏と争つたものと思料される。思慮少なく夫なき被告人が此の軽挙に出でたとしても余り強く責める必要はないと信ずる。全く一時の感情から為した偶発的事件として見るべきである。殊に第一点記載の如く令状を示されなかつたことだけは事実で執行後に於いても措置宜しきを得なかつた点が認められる。(2) 第二点記載の如く本件は法律上公務執行妨害罪の成立につき相当疑問あり之を有罪とする以上量刑にも考慮を払わるべきと思料する。(3) 被告人が岡田の手を咬んだ動機は被告人に於いて岡田等二、三人の者に肩をしめられ痛苦に堪えかね之を免れむ為めにしたものである。被告人から進んで同人に危害を加えたとは云い得ない。被告人は為めに左肩を捻坐し全治十日間の負傷を受けたのである(高橋林一の診断書)。一方岡田の負傷は「通院加療ヲ要セザル極メテ軽微ノ咬創」である。両者の加害程度からするも被告人のみを重く処罰する理由はないと信ずる。(4) 被告人の夫は行方不明で被告人は三人の子女を抱え生活している。若し被告人に実刑が課せられるとき子女は路頭に迷うの外ない。前述の様な偶発的事件に対し原判決の如き重き制裁を加える必要はない。(5) 被告人は既に逮捕され警察員の取調の際前非を悔い将来此様な挙に出ないことを誓つているので実刑を科する要はないと信ずる。

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